in陰扉door_novel_1

第一章 おいてけぼりの_4




私が答えないでいると青年は私と少し間をあけて隣に座った。
ギシッと軋む音がして、反動が伝わった。
(私を助けてくれたのはこの人だ。この人がいなかったら今頃私は・・・・・・だからこうなった理由は断片的にでも話すべきだ。けれど)
理屈では片付けられないような感情が、私の中に渦巻いていた。
「どうしても、言わなきゃ、駄目ですか?」
私は青年の顔を見ずに聞く。
青年は多分頷いた。見えないけど。
「言わなきゃ、この紙切れはやらねぇ」
「え?」
顔を上げると、青年はさっきココア(という名ばかりの流動体)と一緒に持ってきた紙を掲げていた。
「それ、私に関係あるものなんですか?」
「ああ、ある」
何?
というように私は首を傾げた。
「言ったら教えてやる」
「・・・・・・じゃあ教えてくれなくていいです」
「なんだよ、可愛くねぇな」
(可愛い可愛くないの問題じゃねぇんだよ)
私は心の中で呟いた。
私の理由はとその言葉の重量が違いすぎて、一瞬青年があり得ないくらい憎く感じた。
少し唇を尖らせて
『えぇ、ケチィ』とか『教えてくれたっていいじゃないですかぁ』とか呟けばいいのだろうか。
上目遣いで、軽く睨んでやれば満足なのだろうか。
それが可愛いということなのだろうか。
不当な苛立ちが募る。
おそらく青年は、何の意味もなしに呟いたのだろう。
だからこそ、気分が悪かった。
(私の気持ちを知らないから、そんなことが言えるんだ)
(興味本位のくせに、理由を尋ねてこないでよ)
矛盾した二つの思いが溢れる。
私は気持ちを、理由を知ってもらいたいのだろうか、知られたくないのだろうか。
どっちなんだろう。
「私、は・・・」
「まあ別にいいけどな。言えねぇんだったら、ほっぽり出すまでだ」
「!?」
「じゃあな」
「ちょっ、待って!!」
話したところで、何かなるわけではない。
良い意味でも、
悪い意味でも。
「話すから・・・・・・・」


小さい頃、私はある犬の世話をしていた。
そいつは、捨て犬だった。
路地裏にゴミに埋もれて捨てられているのを、学校の帰りに発見した。
貧乏で犬なんて飼える余裕がないのは分かっていたから、家には連れて帰らず、捨てられているその場所で世話をした。
毎日の自分のご飯を減らし、そいつにやった。
ダンボールで家も作ってやった。
新聞紙を千切って布団代わりにもしてやった。
私は名前をつける必要性というものを感じていなかったから、その犬のことは「あんた」とか「お前」としか呼ばなかったけれど、私はそいつを愛していた。
大好きだった。
多分、学校の同級生よりも、もしかしたらおかしくなり始めた両親よりも。
ケン太には、少し負けたけれど。
勉強の忙しいときはそいつの側で勉強して、一緒にいない日はなかった。
ただ一日を除いて。

その日私は熱を出して、学校の保健室で寝込んでいた。
体が熱く、頭が割れそうに痛かった。
病院に行かなかったから分からないけれど、インフルエンザか何かだったのかもしれない。
朦朧とした意識の中で、授業終了、帰宅のチャイムに気付き、自分を待つ犬について思った。
ご飯は朝やったきりで、きっとお腹が空いている。
朝はそいつは寝ていたし、まだ顔を合わせていないから、きっと私と会うのを楽しみに待っている。
今日は給食は丸々残っているから、喜ぶだろう。
私とそいつが笑い会っている風景が現実のように頭に浮かんだ。
実際その時の私は、それが現実だと錯覚していた。
妙に安心して、寝てしまったのである。
時間は刻々と過ぎ、目が覚めた時は日が沈んでいた。
「大丈夫?辛そうだったから起こさなかったけれど、目が覚めたのなら送りましょう」
そう保険医の先生は言った。
来るべき両親が来なかったから、彼女は気を使ってくれたのだと思う。
ランドセルは彼女に持ってもらい、手をつないで暗い夜道を歩いた。
先生は終始何か言っていたけれど、覚えていない。
「先生、ちょっといい?」
犬のダンボールの家があるところで、私は立ち止った。
「どうしたの?」
給食をあげるつもりだった。
けれど、それは叶わなかった。
「あ・・・・・・・・」
「どうしたの?」
「犬が・・・・・・・・」
そいつは、ダンボールから体をだし、表の通りの方に体を向けて、死んでいた。
「まあわんちゃん、死んじゃったのね。可哀想に」
「お前・・・・・・・・」
「お墓、作ってあげましょうか」
違う、違うんだよ、先生。
他人事みたいに言わないで。
そいつはね、私が世話してたの。
私の大好きな友達なの。
けれど、それを証明することはできなかった。
何故なら、名前がなかったから。
「う・・・・・・・・・・・・・・・・・うああああああああああああああああああんん!!!!」
突然泣き出した私に、先生は驚いたようだった。
私を手をつないでいた方の手で抱きしめ、よしよしと言った。
「そうね、悲しいわね。わんちゃん死んじゃって悲しいわね。あなたは優しい子ね」
違う、違うんだってば。

私は、お墓を作っている間、ずっと後悔していた。
何故、朝、元気か確認しなかったのか。
何故、途中で起きれなかったのか。間に合ったかもしれないのに。
それよりもまず、そいつをちゃんとした環境で育てなかったのか。
クラスメートでも先生にでも、報告すればそいつは助かったのではないか。
多分そうしなかったのはそいつが自分以外の人に盗られるのが嫌だったから。
子供ながらに分かっていた。
そうすれば、多分死ぬことはなかった。
墓のプレートに、この犬の名前を・・・・・・
生きた証を残せないことが虚しい。


青年に話している間、そんなことを考えていた。
今の気持ちは、その時と同じだ。
後悔
後悔
後悔
人は何かを失ったとき、その悲しみよりも後悔の方が大きいのかもしれない。
実質的な大きさとしては。
「じゃあお前は、両親のことが本当は好きだったのか?」
私は少し沈黙する。
「・・・嫌い」
「・・・・・・」
「でも、好かれたいと思ってた。変だけど・・・昔みたいに、愛して欲しかった」
「勝手だな」
そんな突き放すような言葉とは正反対の優しさで、青年は私の頬を撫でた。
「っ・・・」
何かと思うが、すぐに合点がいった。
私は泣いていたのだ。
「泣くんじゃねぇよ」
それは私の言葉だったのか、それとも青年の言葉だったのか。
気付く間もなく私は青年に抱きしめられた。
押し付けられた、という方が正しい。
硬い胸板。
息が出来ない。
けれど、暖かかった。
「うちに来いよ」
「・・・・・・・?」
「ここで暮らせよ。行くあて、ねぇんだろ?」
「!!・・・・・・・いいの・・・いいんですか??」
青年は返答の代わりに私を強く抱きしめた。
(痛い・・・息が出来なくて苦しいっつうの)
私の涙が、青年の服に染みて行くのを感じる。
(でも・・・・・・)
私は青年の背中に手を延ばした。
自殺した両親、弟。
・・・・・・パパ、ママ、ケン太。
「うああああああああああああああああああんん!!!!」
(お願い、離さないで)

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