in陰扉door_novel_1

第三章 恋・乞い・故意_1




「ねぇ、キスしてよ。あつぅいヤツ」

俺はゆっくり立ち上がって彼女に顔を近付ける。
そしてつぶやく。
「キスだけでいいの?」
彼女は喜んだように自ら唇を近付けた。
甘いリップの香り。
けれど想像よりそれは美味しくなかった。
彼女の服のボタンを外してゆく。
彼女だけが、浴衣を着ていなかった。
指が触れたその肌は、想像していたよりもザラザラとしていた。
(なんだ。なんか、いまいち)
けれど胸の突起に俺の指が触れたとき、彼女が甘い声を上げたとき、俺は意思を持たない獣となった。
体だけがリアルで、熱い。
愛してるとか思っても無いことを呟いた気がする。
けれどそんな言葉に意味はなかった。
彼女がいい声で鳴けば俺は喜び、俺が鳴けば彼女は自ら体を動かした。
元々人間は、言葉など持っていなかった。
この行為をするときだけ、人は獣へ帰る。


「って、何。今の話。どこかの官能小説ですか?」
「いや、俺の体験談」
「お前かよ!!」
「間違えた。俺の性体験談」
「分かってるよ!!」
私はいつものように、剣の授業の手伝いをしていた。
リビングの大きな机に筆記用具とマグカップがあり、プリント類が散乱していた。
普段だったらテレビを点けるのだが、今日は面白い番組もやっていなかったし、だったら雑談でもしていればいいということになったのだ。
(でも、なんでこんな話に!?)
「先生、私は明日から始まる修学旅行について聞いたんですよ。それがどうして」
「あんな、家でいるときは先生じゃなくて、剣な」
「ぐぅ・・・け、剣」
剣の正体(といってもただ私が気付かなかっただけなのだが)を知ってからは、名前で呼ぶことに抵抗があるのだ。
「今の話だって、れっきとした修学旅行の話だぜ。俺のこの体験は修学旅行中だから」
「え、ば、ばれなかったんですか」
個室でもない限り、そんなことをしたら同質のクラスメートにばれてしまうだろう。
すると剣はニヤニヤ笑って、こう言った。
「ああ、ばれなかったなあ。教員の部屋でヤったから」
「ええ!だって先生が・・・・まさか」
「相手、当時の担任」
「うっそぉ!!!!」
「しかも当時俺しょーがくせー」
驚きの余り、プリントにペンを滑らしてしまいそうになった。
慌てて立て直す。
「まあ、向こうもこっちもお遊びみてぇなモンだったからな。卒業したきり、連絡ねぇし」
「け、剣・・・」
元々女の影が多い人だとは思っていた。
初めて会った場所といい、それ以外にもそう思った根拠は、数日共に暮らしてきて沢山ある。
(理解できない・・・)
それが現時点での剣への感情だ。


ということで、修学旅行である。
行き先は沖縄。
一日目はひめゆりの塔へ行き戦争の話を聞く。
二日目、三日目は基本的に自由行動だ。
私は同じ班の子たちとも仲良くないし、一人で見て回ろうと思っている。
沖縄へは飛行機で行く。
空港集合で、勿論剣も引率の教師陣に含まれている。
剣は自分の車で空港まで楽々、一方私はバスと電車を乗り継いで・・・
(送ってくれてもいいじゃんか・・・!)
羽田から那覇空港までは男子生徒が叱られるなどの細かいこと以外、いたって順調。
私自身にも特にアクションはなかった。
ただ、飛行機の中で見せてもらった部屋割りで私たちの班の部屋は剣の部屋の隣だった。
(普通は女の先生を持ってくるべきなんじゃないか?)
そこに剣の思惑が働いたかどうかは、定かではない。
ひめゆりの塔での話も、平凡でつまらないものだった。
第一私たちの歳にもなれば、戦争の辛さや恐ろしさは理解している。
だから話を無理やり聞かせ、これ以上恐怖心を植えつけるのはどうかと思う。
どんなに話を聞いても、戦争を体験したことのない私たちが完全に理解できるはずがなく、ただ得体の知れない恐怖が蔓延してゆくだけなのだ。
女生徒が「怖いよね」と話しているところや、涙を流す生徒までいて、それを見て私はそんなことを思った。
「天音さん」
「ん?」
その時、同室の子が話しかけてきた。
名前は新井、と言ったか。
「これ、落としたよ」
そう言って差し出したのは黒い携帯ストラップだ。
皮製で、銀のマスコットが付いている。
私はこのストラップに見覚えがあった。
確か木下くんが、松岡くんの誕生日にあげようと思う、と話していたストラップだ。
結局あげることができたのか。
もしかしたら木下くんのことだから、勇気が無くてあげられないということもあると思っていた。
周りを見ると、松岡くんは数人の男子生徒に囲まれてずっと前を歩いていた。
(渡すのは会った機会でいいか。追いかけるのも面倒だし。それにしても)
彼を囲む男子生徒の中に木下くんも含まれていたが、彼とは一番遠い場所で笑っている。
松岡君の隣に行きたいんだろうな、と考えて私は笑った。

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