in陰扉door_novel_1

第二章 平穏、変更_5




私と剣は、夕日が照らすオレンジ色の商店街を、ゆっくりと歩いていた。
いつも夕食の材料を買うスーパーがあるその商店街は、剣の家から歩いて十分くらいのところにある。
私は救急車で運ばれ、剣はそれに付き添い、病院からの帰りだった。
腕は大したことなかったと思う。
何針か縫っただけだ。
いや、それって大したことなのか?
「どうして言ってくれなかったんですか?」
私は聞いた。
同じ学校しかも同じクラスの教師なら、出会った娘が自分のクラスの生徒だって分かったはず。
「お前こそ、担任の顔覚えてないって相当すごいぞ。ラブホテルで会った時はまずいって思ったけどな、まさか覚えていなかったとは」
そこは、言い訳できない。
私は昔から人の顔と名前を覚えるのが苦手なのだ。
今のクラスメートも、木下くんと、反町有子ら三人しか覚えていない。
「お前、本当他人に無関心なのな」
そう言った剣の表情からは何も読み取れなかった。
ただ、その言葉に私は、叱咤されたような気付かされたような気分にさせられた。
そして、無性に悲しくなった。
剣は何の気もなしに言ったのだと思う。
でもその言葉と、剣が教師であるという事実が私を悲しくさせた。
ショックによるものだったのかもしれない。
「・・・・・・お前、何泣いてんだよ」
うう、と私は涙を拭った。
「泣いて、ないし」
同じ人間に、赤の他人に、しかも担任に、泣き顔を二度も見られてしまうなんて屈辱だった。
だから必死に涙を隠す。
けれど拭っても拭ってもそれは流れてきた。
剣はその場で止まり、自分のシャツで私の涙を拭く。
彼の反対の腕の方は、私の傷の応急処置で破けてボロボロだ。
もうこのシャツは使い物にならない。
(もう嫌だ)
私は剣に迷惑を掛けすぎている。
大体彼に家政婦まがいとして使われているということに対し、家に居候させてもらうことは割に合わない。
あんな立派な家に、しかも自分の部屋(ロフトだけど)を与えられて、小遣いも貰って。
剣にとってみたら迷惑以外の何ものでもない。
確かに、剣の料理の腕はひどいものだ。
でも彼には料理を作ってくれる女が一杯いそうではないか。
私よりも迷惑がかからず、おまけに肉体的な意味で楽しませてくれる。
けれど私は、彼に迷惑を掛けないと生きていけない。
彼の家を出てどうする?
またラブホテルの辺りをうろついて、オヤジからお金を盗むの?
失敗したらどうする?
「おい、そろそろ泣き止め」
通行人が、ちらちらと見てくる。
大の大人が、女子高生を泣かせている図にしか見えないのだろう。
私はこくんと頷いて、家までの道を急いだ。


「教師なんて大ッ嫌い」
「あ?」
友人も作らず、休み時間はひたすら本を読んだり勉強していたりした私は、教師にとっては手のかかる生徒だったらしい。
特に担任は、いらぬ世話ばかり焼いた。
クラスの学級委員に仲良くしてあげてと頼んだり、いじめ問題としてホームルームで取り上げて、一人ずつ反省を言わしたりした。
その時一人だけ先生に指されなかった私は、迷惑な人間として皆から白い目で見られた。
中学に上がっても、保護者面談なんかでそのことをくどくどしつこく言われた。
外面のいい両親は教師の前ではいい顔をして、家に帰るとこっぴどく私を叱った。
どうして皆私をそんなに気にするのか、分からなかった。
私はただ、一人でいたいだけなのに。
(本当に?)
一人でいた方が、勉強もはかどるし、妙な考えに毒されることなく、頭を正常に保っていられる。
それは事実だ。
友情でしかえられないものと、友情を育む時間に得られるものは、明らかに後者の方が大きい。
それも事実。
(じゃあなんで私は、木下くんといた時間が楽しかったの?)
話が逸れている。
「目の前の人間に向かって、嫌いとはなんだよ」
「剣は嫌いじゃない。でも教師は嫌いです」
正しいことをしたつもりになって、正義漢ぶるから。
ただのお節介なのに。
「ふーん。あっそ」
彼は興味なさそうに言った。
剣は、自分が好かれているかどうかなんて余り気にしない人間に見える。
多分それは当たっている。
そんなところが、私が剣を嫌いじゃない理由のひとつで、もうひとつは何だかんだいって優しいところ。
そう、私は剣は人間として嫌いじゃない。
でも好きでもない。
それでもよかった。
大体私にとって、嫌いな人間の方が圧倒的に多い。
好きな人間は弟のケン太、ただ一人だ。
「ねえ、剣」
「何」
「抱いて」
「・・・・・・」
私は彼に迷惑を掛けすぎている。
彼の親切に報いることが出来るとしたら、体を使うこと位だ。
始めての相手が剣でもいいと思う。
どっちみち私はまともな生活をおくれそうにない。
そんな気がする。
だったら変な男に抱かれるくらいなら、剣でもいいや、と思ったのだ。
剣は私を抱きかかえて、そのまま寝室まで移動した。
(剣の寝室だ。初めて入った)
剣はまったくの無表情だ。
彼は感情を表に出すほうではないのかもしれないと思う。
「本当に、いいわけ?」
彼はその表情のまま聞いた。
私は答える。
「・・・別に」
ふぅんと彼は言うと、私に顔を近づけてきた。
私は慌てて目を瞑る。
しかし予想していたものは、来なかった。
代わりに
「ひ、ゃあっ」
首筋を生暖かいものが撫でた。
すぐに、剣の舌だと気付く。
私はそこで、急に怖くなった。
ピチャピチャと舐める音がする。
恥ずかしいし、とても怖い。
剣は男なのだと、改めて自覚させられる。
「いやぁ、いやぁっ!はぁ・・・嫌だっ!」
嫌と叫ぶ合間に、喘ぎ声が漏れる。
そんなこえ出すなんて、とても恥ずかしいのに、否応なく体が勝手に漏らす。
「甘ぇ」
剣が言った。
それは私の味だろうか。
私は必死に剣の背中を叩く。
無駄な肉なんて付いてなさそうで、筋肉で、とても綺麗なんだろう。
でもそれが、私はとても怖かった。
舌は首筋から、どんどん下へ移動していく。
もう私は恐怖しか感じない。
私は我慢しなくてはいけない。
けれど。
「ふっ、やっ、だ・・・やめ、てぇ」
目を瞑って泣いた。
落ちる涙を、剣の指が拭う。
「アホかてめぇ」
「は、はぁ?」
見ると彼は乱れた私の制服直している。
「あのなぁ、青くせぇ餓鬼が、高飛車なこと言ってんじゃねぇよ。アホ」
「あ、アホッ、って・・・私は、あんたに迷惑かけすぎだと思ってぇ!」
「それがアホって言ってんだよ。ド阿呆が」
私は泣くのもやめ、ぽかんと口を開ける。
(何それ、何それ!私は真面目に)
「お前はまだ餓鬼だろうが。確かにお前はしっかりしてるし、世間にも高校生でしっかり一人前の奴もいる。
でもそいつの両親は死んでるか?借金取りに追われてるか?」
「・・・・・・」
「ただでさえお前みたいなシチュエーション少ねぇのに、小娘ひとり生きていけるわけねぇだろ。漫画の世界じゃあるめぇし」
「でも、私は!」
「そうだな、他人に迷惑掛けたりすんのは嫌かもしんねぇ。お前は今まで一人でやってきたんだったら尚更だ。
だから言ってんだろ。お前は餓鬼なんだから人に頼ってもいいって。
特に体売ろうなんて、馬鹿らしいこと考えんじゃねぇ。恥ずかしいから」
「は、はずか?」
「見ていて恥ずかしいアホらしくて。誰がそんな体を・・・ってぇ!!」
私は思わず剣に蹴りを入れる。
「・・・ともかくだな。もしそんなに気にするんだったら・・・そうだな。
小遣いはなし、仕事は今まで通り。そして俺のプリント作りとかを手伝う。
これでどうだ?」
私は計算する。
それだったら割りに合う。
「うん、ありがと」
「よし」
彼は私の頭をくしゃくしゃと撫でると
「さあ、お前出て行け!ここは俺の寝室だ」
「な、あんたが連れてきたんじゃ!」
「ほら、さっきの『私を抱いて』発言は忘れてやるから」
「なぁぁぁ!!!!」
剣は『』のところで妙にくねくねしたポーズをとる。

「気持ち悪い!!」
私は心の底からそう思い、扉を勢いよく閉めた。

next→

home